~現場回想記~I 邸(30代子育て中のご夫婦)   #10 木の家は100年の計

奈良県の製材所
奈良県の製材所にて

お施主さんと産地の製材所を訪問しました。身近な暮らしのことから、地球環境のことまで、少し踏みこんで考えてみることで、”木の家”への愛着は深かまっていきます。


今回も奈良県産のヒノキと杉で造る家です。木には人と同じように一本として同じものはありません。 良い環境でスクスクと育った木もあれば、風あたりの強い場所や、陽の当たらない場所で苦労しながら育った木もあります。人も木も性根はいろいろ、私のようにヘソが曲がったのもあります。 

法隆寺の棟梁、故西岡常一氏は、好んで癖のある木を選び組み合わせたそうです。その域には遠く及びませんが、製材所では現代の木挽き棟梁が、適才適所のマネジメントに奮闘しています。

以下は『木のいのち、木のこころ』(天)西岡常一著からの引用です。

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依頼主が早よう、安うといいますやろ。あと二割ほどかけたら二百年 持ちまっせというても、その二割を惜しむ。
二百年持たなくても結構ですっていうんですな。
ものを長く持たせる、長く生かすということを忘れてしまっているんですな。昔はおじいさんが家を建てたらそのとき木を植えましたな。
この家は二百年持つやろ、いま木を植えておいたら二百年後に家を建てるときにちょうどいいやろといいましてな。

二百年、三百年という時間の感覚がありましたのや。
今の人にそんな時間の感覚がありますかいな。
もう目先のことばかり、 少しでも早く、でっしゃろ。
それでいて「森を大事に、自然を大切に」ですのもな。

木は本来きちんと使い、きちんと植えさえすれば、ずっと使える資源なんでっせ。鉄や石油のように掘って使ってしまったらなくなるというもんやないんです。植えた木が育つまで持たせる、使い捨てにしないという考えが、ほんのこのあいだまでありました。
本来持っている木の力を生かして、無駄なく使ってやる。
これは当たり前のことです。当たり前のことをしなくなったですな。

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掲載日:2006.09.17